オーストラリア ワーキングホリデー 留学 応援サイト

オーストラリア ワーキングホリデー
 & 留学応援サイト

 

 
 

 

 

 

自己紹介 ワーキングホリデー時代
 

 高校3年生の最後の「学年だより」で、時期も時期だけあって進学決定者や就職決定者が、足並みを揃えて名前が書かれていた本の中で、なんと「その他1名」に見事に選ばれたのがわたしでした。(^-^;ゞ   担任の教師にも何も言わず、相談もせず、ただ心の中に誓っていた事が「オーストラリアに絶対行く!!」という事だけでした。その年に出来たばかりの「ワーキングホリデー制度」はその後のわたしの人生を大きく変える事になったのです。

 当時留学はお金持ちだけの特権だったわけですが、「ワーキングホリデー制度」は日本とオーストラリアの政府がお互いの国の若者を対象に「働きながらその国に住む事が出来る」という取り決めで、つまりお互いの国の「お金は無いがチャレンジ精神と根性だけは持っているゾ!」という若者たちに文化交流の場を与えてくれるという、わたしみたいなお金は無いが海外に長期行きたいと切に願っていたものにとっては、飛びつきたくなるような素晴らしい制度が日本に初登場したのです。 厳密に言うと、わたしがワーキングホリデー制度を知ったのは、ちょうどこの間第88回全国高校野球選手権大会で、早稲田実業学校の斉藤佑樹投手が7試合に登板し948球の激闘の末に大感動の優勝を遂げた 8月、高校3年生の夏頃でしたが、ワーキングホリデー制度が本格的にスタートしたのは翌年1981年1月でした♪ということで、早速ワーキングホリデー制度が出来たその年(つまりわたしはワーキングホリデー1期生なのでした!)高校卒業の年、18歳でオーストラリアの土を始めて踏みました(*^_^*)

 

オーストラリア ワーキングホリデー 写真  初めての長期海外生活!オーストラリアで夢のような生活がスタートしました。当時一番安かったディスカウントチケット(シンガポールエアラインで38万円)の行き先がメルボルンのみだった為、 選べもせずメルボルンIN♪しかし寒かったので迷わずサーファーの憧れの街、北に1850キロも離れている ゴールドコースト市内にあるサーファーズパラダイス地域に大移動!当時はゴールドコースト市内全体でも人口は15万人!!!日本人も28名しか居なくて、東京で生まれて育だったわたしには、カウンターカルチュアショ 〜ック!!!以来現在でも大好きでこの ゴールドコースト一地域であるマジュラバ言う地域に住み着いております。
   (当時近所の仲間達とサーファーズの街中のアパート前にて)

 

 日本では幼稚園生年長組の年齢からのスキー暦で、かなりスキーには自信があったのですが、同じバランス系のスポーツでメルボルンのベルズビーチで初挑戦し、本気で取り組みたくて北上しサーファーズパラダイスで始めたサーフィンには超びっくり っ!!「世の中にこんなにハードで上達しにくいスポーツがあったのか(@_@;)?」というのが当時のわたしのサーフィンに対する第一印象でした。しかーし!持ち前の負けん気でサーフィンにのめり込み、いつしか世界チャンピオンになるぞ っ!!と頑張っていた日々♪あれから25年以上経過しましたが、今でも海で朝早くから 頑張って毎日サーフィンしている若いワーキングホリデーのサーファーを見かけるとあの頃の事を昨日の事の様に思い出します。
     (当時のハワイアン天才サーファー、マイケル・ホーと!)  
オーストラリア ワーキングホリデー 写真

 

オーストラリア ワーキングホリデー 写真  流石サーファーズパラダイスなんて名前がついちゃうぐらいの場所だけあって、1年中コンスタントにサーフィンの出来る環境が揃っていました。 冬は腰胸程度の波でそこそこ楽しめる感じなのですが、特に夏は熱帯気圧や台風のせいで、大波がゴールドコーストの57キロにも及ぶ海岸線を襲い、ビッグウェーブに乗りたいサーファー達の心をくすぐりました。私も例に漏れず、ダブル・トリプルのビッグウェーブに挑戦するのが三度の飯よりも好きだった若者だったのです。写真のポイントは、A to Z AUSTRALIAのサポート中にメンバーにサーフポイントの紹介をする時や、わたし自身が時間のある時にサーフィンをしに行く大好きな場所です。
  (物凄いパワーがある波で有名なD−バーでの当時のわたし)

 

 そうなんです!!!この写真の主がわたしが当時目指していたサーフィンの最高峰のお方、マーク・リチャーズ様なのです。(25年も前のヒーローなので、若い方や興味の無い方はご存知ないでしょうが・・・(^-^;A) 確か当時3年連続世界チャンピオンになり、敵無し状態の超天才オーストラリアン・サーファーでした。憧れていた私は、大会等でゴールドコーストをちょくちょく訪れていた彼を見かける度に、海でも陸でも、近寄ったり話し掛けたり、写真を一緒に撮ってもらったり、さわったり(笑)しておりました。 ケリー・スレーターとかも一緒に写真撮ってもらった事ありますが、わたしにはやはり当時のマーク様がヨン様なのです(笑)♪
    (友人のサーフショップにて、超ご満悦のポーズ(*^∇^*))
オーストラリア ワーキングホリデー 写真

 

オーストラリア ワーキングホリデー 写真  今でこそ、ここゴールドコースト(ゴールドコーストとはサーファーズパラダイス[ビーチ名]を含めた沢山のビーチをもつ市の名前です)には人口約50万人 位の人が住み、その中に約3000人の日本人が住んでいますが、わたしが18歳だった当時は、わたしを含めてゴールドコースト市内に住んでいる日本人の数は常に全員把握できるぐらいでした。ちなみにわたしがサーファーズパラダイスに住みだした頃の日本人の数は 上記でもお伝え致しましたが、たったの28人だけだったのですw(@。@;)w そんなわけで今現在はゴールドコースト市全体でもわたしより昔から住んでいる日本人は片手の指で数えられるぐらいになりました(^-^;ゞ。。。
   (毎朝顔を洗っていた家の目の前にあったビーチでのわたし)

 

 生活は趣味がサーフィン以外は特に無かった為、 一度サーフボードを買ってしまうと、当時は50セントぐらいだったワックスを購入するぐらいで大きな出費も無く、お金は貯まる一方でした。基本的に当時仕事といえば、「海外から来た英語もまともに話せない聞けない外国人」には、レストランの皿洗いか、農場で働くか、工事現場で働くかぐらいの単純作業しか無かったのですが、わたしは幸運にも「鉄板焼きのシェフ」という仕事をGETできた為、(皿洗いよりちょっとましな仕事!海外にしかない日本食のジャンヌとも言います(笑))金銭面、待遇面、時間面でも 夕方5時からの仕事だった為、サーフィンと両立出来て、「何かに向かって一途に走る」という意味では、人生最高の時を過ごせました\(^0^)/♪
      (なぜハワイアンと同じ色?デーン・ケアロハプロと)
オーストラリア ワーキングホリデー 写真

 

オーストラリア ワーキングホリデー 写真  オーストラリア人はよく休日にバーベキュー(BBQ)をします。そして、この鉄板焼きというのはそのバーベキューとスタイルが似ているせいか、オーストラリアではとっても人気がありました。特にわたしの習ったスタイルが 、ロッキー青木氏が作った「紅花」式でナイフや塩こしょうを振り回したり、焼きあがった肉をお客様の皿の中に投げ込んだりしながらステージでショーをするみたいにお客様を楽しませるやり方だったので、休日のたびに色々なオーストラリア人のお宅に招かれてバーベキューパーティーをやりました。中国人とかタイ人とか「なんちゃって系」の日本食シェフが多い中、唯一の東京から来た日本人シェフ!という事で、とっても皆さんにはかわいがって頂いた思い出だらけです。という事で今現在でもわたしの得意料理は BBQなのです。(^o^)  
 (名球会の旅行で来豪した元巨人軍長嶋監督と!ワッ・若い!)

3分でわかるA to Z AUSTRALIAの内容
自己紹介 ワーキングホリデー時代
自己紹介ツアーコーディネーター時代
自己紹介A to Z AUSTRALIA時代
A to Zと斡旋業者&現地業者の違い
最初の渡豪先都市をお悩み中の方へ
A to Zのワーホリ成功者達リスト
サイトマップに進んでみる

 

オーストラリア ワーキングホリデー 3分でわかるA to Z AUSTRALIAの内容に戻る オーストラリア ワーキングホリデー 留学 応援サイト オーストラリア ワーキングホリデー 自己紹介ツアーコーディネーター時代に進む 
                 


このサイト内にある文章、イラスト、写真を無断で転載する事を禁じます。Copyright(C) 2001-2014 AtoZ AUSTRALIA All Rights Reserved.