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ワーキングホリデー制度は当時わたしの代の1期生だけだったのですが、1年間オーストラリアに住める権利と、
3ヶ月以内ならば同一の雇用者の下で働ける権利と、お金があれば更に1年その期間を延ばすせる権利がありました(残念ながら2期生から
24期生までのワーホリメーカーは最長1年のスタイルになって
おりましたが、嬉しい事に2005年11月から条件付きですが、最長2年間のワーホリスタイルが復活しました\(^0^)/♪)。勿論わたしは1年の滞在後、更に1年オーストラリアの滞在を延長し、結局2年間のオーストラリアでのワーキングホリデー時代を経験しました。一番感受性のある青春時代をオーストラリアで過ごしてしまった為に、ましてオーストラリアが日本と色々な意味で正反対だった為、その後わたしを悲惨な運命が待ち受けていたのでした(^-^;ゞ。 日本に帰国したわたしを待っていたのは、何もかもが不自由に思える日本での生活でした。英語を忘れないように英会話学校に勤務しましたが、朝の満員電車や、夜の上司の悪口で盛り上がる酒の場や接待等に全く馴染めない体になってしまっていて、気がつけば考える事は「早くオーストラリアに帰りたいよー!」という事ばかりでした。人間無いものねだりだとはよく言ったものです。田舎で生まれ育った人が都会に憧れて、東京とか大阪に出て
がるのと同様で、東京のど真ん中で生まれ育ったわたしにとってはオーストラリアみたいな何も無い素朴な田舎が、逆に憧れだったのかもしれません。
そんなこんなで、日本での生活にピリオドを打ち(と言っても当時オーストラリアに戻っても住める保証や見込みは全くありませんでした。(汗))
、さっさとオーストラリアに戻ってきてしまったのです。ビザは観光ビザだし、とりあえずビジネスビザでわたしのスポンサーになってくれる企業やレストラン等を必死に探したところ、やっと鉄板焼きでビジネスビザを取ってくれるというレストランに出会え、あとはもうビザの為に必死にそこで働き蜂になりました(笑)♪毎日のようにオーストラリアのビザの女神様に
、「オーストラリアの永住権が取れますように!」という願いをしておりましたが、数年経ちやっとオーストラリアのビザの女神様が微笑んでくれる日がやってきて、ついにビジネスビザから永住権のビザを取得できたのです
\(^0^)/♪♪♪
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大好きなオーストラリアへの永住が確定したので、そろそろ自分のやりたかった仕事でも経験しようということで始めたのがツアー・コーディネーターのお仕事でした。この仕事は思っていたよりも超大変でした。特に新人ツアーガイドの頃は、お客様も新婚旅行の方達や家族旅行の方達だったので、すぐ仲良くなれたし、仕事内容もそんなに複雑ではなかったのでまだ良かったのですが、だんだんベテランと言われるようになり、ドラマや映画の撮影とか、雑誌社の取材とか大手企業のテクニカルビジットとかのコーディネーションの仕事に変わってくると、仕事内容が英語力や判断力が絶対不可欠で神経を使う仕事になってきたのです。人と合ってお話をするのは得意だし、大好きなオーストラリアの話をお聞かせするのは、とっても楽しくお仕事ができるのですが・・・・
(東京ラブストーリーより前の鈴木保奈美ちゃんと!) |
ちょっとココで裏話なのですが、、、海外でのドラマの撮影の仕事というのは、まずロケハンといわれる(大抵はそのドラマの脚本家やディレクターや製作会社の人間)人達が本隊の来る数ヶ月前にオーストラリアにやって来ます。コーディネーターの仕事はココから始まるのです。スーパーマーケットや海岸やロケに使う家等をロケーションハンティングしていくわけですが、「このマーケットで買い物のシーンね!」「ここの海岸で3日間撮影ね!」と気楽に投げかけられた言葉に、ロケハンが帰ってから必死にスーパーマーケットのスーパーバイザーや、市役所の人間と撮影交渉をしたりするのが、わたしの仕事でした。もちろん本隊がやってっ来てからの現地スタッフとかとの通訳や、マックを買うお手伝いも全てわたしなのですが(笑)♪
(ドラマのロケ中撮った鈴木保奈美ちゃんと仕事仲間達!) |
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そしていよいよ本隊がオーストラリアに到着してからは、もう目の回る毎日になるのです。「ハイ!では本番入りま〜す!」「5・4・3・×・×」。。。今でもこの言葉を思い出すと胃が痛くなってくるような。。。なにせ海外ロケというのは基本的に時間的な余裕が無く、いつも追っかけマキマキ状態になってしまうのです。まして天気が悪くて撮影できない日とかは、オーストラリア代表のわたしとしては、心が痛むし・・・
(わたしが悪い訳ではないのですが(笑))。その代わり、撮影を全て終了した後のスタッフや役者の皆さんとの打ち上げ会は感無量ですね!! モノをゼロから作り上げるクリエーティブな仕事に関わる事の出来るツアーコーディネーター
の仕事は、この達成感があるからやる事が出来ました♪
(「スチュワーデス物語」の撮影で秋本奈緒美さんと) |
そして気が付くと、ゴールドコーストでのこの様なドラマや映画のロケや取材といった仕事の専門になりつつあった自分の状況に、少し焦りを覚え始めたのです。と言うのもせっかく日本株式会社(日本にいた頃、どこのどんな会社で働いていても、何故かわたしは「日本株式会社の歯車の一部でしかない・・・
」ような印象をもっていたので勝手に皮肉を込めてそう呼んでました(笑)♪)を退職(?)して自由なオーストラリアに来たはずだったのに、英語という武器を使う仕事とはいえ、又日本株式会社のオーストラリア支社
という感じの小さなピラミッドの中で働いているような自分に、なにか漠然とした矛盾を感じてきたのです。。。(^^;
(打ち上げ会時の宇津井健さんとわたしと、地井武男さん!) |
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かといって、ここゴールドコーストは観光の街、旅行社か免税店かレストランで働く以外に他に仕事があまり無くて、わたしが一番自分の才能を使えていると思っていたツアー
・コーディネーターを辞めてしまったら、「何をしたら良いのだろう・・・」と悩みました。しか〜〜〜し、「悩む前にとりあえず辞めちゃえ!」と仕事を辞め(わたしの物事の決め方はいつもこんな感じで即決してしまうのです・・・(汗))
、半年間大きな庭のある家で草花に水を与えながら読書三昧とサーフィン三昧の生活の後、「そうだ!上記の仕事以外仕事がないなら、自分で作ってしまおう!!」と思いたち、ゴールドコーストに住んでいる日系人と地元の
OZ相手の仕事を考えついたのです\(^0^)/♪
(またまたほぼ毎日サーフィンに明け暮れる日々!) |
それが当時ゴールドコーストでは初のCD&ビデオレンタル専門店「ネットワーク」でした。1990年5月のお話です。この仕事なら趣味(特に音楽は中学生時代からR&B専門で、アメリカの音楽雑誌ビルボードのR&BアルバムチャートのTOP40を全て毎週お店でレンタルするという充実ぶりでした♪)と実益が兼ねられるし、直接日本株式会社のオーストラリア支社の小さなピラミッドの中で働く訳ではないし、
OZ(こちらではオーストラリア人のことを愛称でオージーと呼んでいます)のお客さんもたくさん来るので
両国語を使えるし!!!ということで、1999年10月に至るまで約10年間弱長々とこの仕事を大好きで続けておりましたo(^0^)o
(1990年5月、サーファーズで開店時のお店の正面写真!) |
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そして、1997年頃から店内でパソコンの販売とかも始め、お店の中でもインターネットサービスを開始しました。そしてわたしもインターネットをする機会が増えたのですが、まずわたしが真っ先にハマッたのがインターネット麻雀の「東風荘」だったのです(今考えると対戦型ネットゲームの先駆けでしたね)。試合結果の総合順位が出てしまうので負けず嫌いのわたしには最悪・・・どっぷりとのめり込み、月間ランキングでは最高位13位まで行ったことがあります(滝汗)。この「東風荘」で知り合えた
日本の麻雀友達のお陰でこのHPを開設できるだけのパソコンの知識を得られました♪(雀友と言ってもコンピューター関連会社の方とか会社経営者とか凄い人達ばかりで、実際驚いておりま
したがっ!!!)
(10年間大好きな音楽を聴きまくっていたお店の中です) |
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